生い立ち
出生
私は1985年生まれ、1980年に父親が寒川駅駅前で坪川歯科医院を開業しましたので開業して5年目で誕生しました。家は茅ヶ崎市にあり、大学まで茅ヶ崎市で幼少期を過ごしました。賑やかな毎日を過ごさせてくれる両親、年齢差を感じさせずにいつも遊びに付き合ってくれる姉に囲まれ楽しく過ごしていました。
小さい時は何にでも興味があり、電気製品が好きだったそうです。左の写真は当時珍しかったポータブルの掃除機ですが、この直後に私が壊したそうです。目が離せない子だったそうです。右の写真はお行儀のいい私の写真です。机に足を乗せて食べるのが好きだったそうです。
小学生の頃
僕は本の好きな子だったそうです。完全にインドア派で家に大きな本棚がありましたが、端っこから黙々と読んでいたそうです。物を作るのも大好きで両親が誕生日にプラモデルを買ってくれるのがとても嬉しかったです。ラジコンが昔趣味だった父親と一緒に大きなラジコンカーを2ヶ月ぐらいかけて完成したのも、今でも完成した時のことを覚えています。
づくりということでもないですが、ダンボールや壊れた家電のパーツなどをひたすら集めていて、紐を通して部屋に恐竜が動く様な仕掛けを作ったり工作していました。写真は大きな段ボールが来たので、嬉しくなり庭において夜ごはんを中で食べている様子です。
父親は今考えるとどうやっていたのかわかりませんが、夕方結構早くに家に帰っており、話好きでしたので、今日会ったことや聞いたことなどいろいろ話をしてくれていたのを思い出します。仕事に関してネガティブなことを聞いた覚えがなく、職場を見にいくことはなかったですが、子供ながらに楽しく仕事をしているいい仕事なのだなと思っておりました。
父からは歯医者になれと言われたことはありませんでしたが周囲の人間から将来歯医者になるんだねと言ってもらうことが多く、小学生ながらに漠然と歯科医師になることへの使命感を抱いていました。この時期に歯科医師を志していたなんて、今考えると凄いですね。
中学高校時代
僕の通っていた学校は校則がなく、自分で考え、自己責任で学生生活を送るという変わった学校でした。高校時代に自由に1ヶ月ぐらい時間をかけ研究発表をするイベントがあり、リーダーとして相談しながら発表を成し遂げました。
発表方法を決める際に劇の方式はどうかと提案してもらったのですが、その時は他でもやっていない未知のチャレンジに尻凄みしてしまい却下してしまいました。今思うと大した話ではないのですが、高校時代に一番後悔していることとしてはこの時チャレンジしてみれば良かったということです。
「行動せずに後悔するより、行動して後悔する方が賢明」、「我が人生に後悔なし」
(常にチャレンジしているので後悔はない)というのは自分の座右の銘ですが、このイベントの経験が大きく人生を左右している様に思います。今も同級生は繋がりがありますが、今の自分を作ってくれたのは中高生時代からのつながりのおかげと深く感謝しています。
歯学部へ進学
進路に関しては悩みがありました。高校生卒業が近くになりなかなか家業を継ぐという選択をできなかった時期があります。ですがある日他に自分の中でキラリと光るやりたいことがないことに気がついてしまいました。
そしてそれであれば幼い頃から接することが多かった家業を目指すことがとても自然であることにふと納得した瞬間がありました。そんなことで晴れて歯学部へ入学することとなりました。幸い父親の出身校、東京医科歯科大学に入学することができました。
大学生活
大学生活の1・2年は千葉で、3〜6年は東京でという別れた構成になっていました。ここで生まれて初めての一人暮らしに突入します。
国立大学というのは実家が歯医者の人は少なく、一度働いた後に入ってくる人や、別の学部からの転入であったり、さまざまな背景を持った友人と深い付き合いをすることができました。
そしてコンサートの警備や飲食店のキッチン、ガソリンスタンドで整備の仕事など色々なアルバイトもしました。勉強はさておきとても有意義な六年間を過ごしました。
歯科の勉強は厳しいこともありましたが思っていたよりも僕にとっては面白い分野でした。終わってみればあっという間の六年間、国家試験も無事に合格して晴れて歯科医師になりました。
臨床研修医
〜大学病院勤務時代
歯科医師国家試験に無事合格した僕は大学に残る人が多い中、外の世界をまず体験したいと研修医を外部の歯科医院にお世話になるコースを選びました。そこでお世話になったのが和歌山県田辺市にあります岩上歯科でした。
こちらの医院では本当に良い記憶しかなく、勉強をするのに最高の場所でした。自主的に勉強会に行きたいといってもその旅費を出していただいたり、そして出したレポートに対してしっかりと返事をしてくださり、どんどんモチベーションも出て勉強が楽しいと感じた和歌山生活でした。
風光明媚なところでもあり、綺麗な浜辺もあればちょうど良い登りやすい山もあり、日曜日は必ず海か山に行き歯科の本を読むというのが習慣になっていました。
人を褒めるのが上手な先生で、「坪ちゃんはすごいなぁ」と、先生の方がはるかに博識なのにいつもいってくれました。生活は自炊なのですが、食材をいつも分けていただいたり、あまりに良くしてくださるので、聞いた時があったのですが、院長が若い時に上の先生に同じ様に良くされたからだと答えてらっしゃっていました。将来自分も院長のように他の人に与えられる様になりたいと強く思いました。
何事も始める時が肝心だと思いますが、私の歯科医師人生は間違いなく岩上歯科に出会ったことで良い方向に向かいました。大学時代の勉強と違い、患者さんのために勉強をすることができ、それを人のために還元することができます。その勉強をする事を評価していただいたのが岩上歯科でした。院長はいつまでも私の恩師です。
大学に残るかどうかに関しても、なんとなく大学に残る人が多く、それがいい事なのかどうか悩んでいたのですが、「坪ちゃんは頭がいいから 絶対研究した方がいい」とおだてていただいたのだと思いますが、強く推してくれたのも岩上先生でした。
大学の研究室に残るのであればと大学生時代から考えていたのは歯周病という分野でした。当時は歯周病がどういう病気であるか全くわかっておらず、ただ単純に生涯をかけて取り組むことのできる課題としては被せ物やインプラントなどよりも、歯周病の方が、自分が歳をとっても全力で取り組めるだろう、そしてデータをとってそれを振り返ったときに自分の医院がこんなに人を助けられたと感じられるのも歯周病ならではだろう、と思い、歯周病学分野に入局しました。
こちらでも上司に恵まれ、現在は教授になられている青木先生のグループで研究をすることができました。青木先生はとにかく妥協をせずに先を見据えて治療をされているのが特徴的でした。
ここまでで良いなどの線引きをせずに、これで完璧だと思うまで突き詰めて治療、研究をされています。話好きの先生ではなかったですが、ふとしたときに考えている事をお話しくださって、歯科に携わるとはどういうことか、人生においての仕事観、健康であることの価値などさまざまな面で方向性を示してくださいました。
青木先生から開業祝いをいただいたのですが、私の目がつくところに置いてあり、見るたびに身が引き締まる思いで、大学とは非常勤講師と少し距離ができてしまいましたが、いつまでも歯科における師匠と思っています。
大学病院退職
〜つぼ川歯科医院継承
大学病院退職後、さまざまな一般開業医に勤めて、日々診療の毎日を送っていました。虫歯治療や歯周病治療、咬合治療を基本として様々な治療を勉強会に行き再度勉強し直しました。
僕にも家族ができました。妻と息子と娘の4人家族です。家庭ができ、子育てをすることで自分の子供のために歯科医として何かできることはないか?そして、患者さんの子供たちのために何かできることはないか?と考え始めました。
歯周治療も専門で行っている医院は少なく、治癒することは他の医院でできない治療であると思います。認定医も取得し、数多くの症例を手がけてきました。
しかし頑張って通院してくださる患者様を診ていつも思うのは、もともと歯を失わなければそもそも治療は必要なかったのにな、ということでした。
自分の歯を生涯しっかり守る。歯科の予防について漠然とですが考えるようになりました。
湘南予防・歯科室開業
それから医院を父親から継承し、ついにしっかりと予防を中心とした医院を作っていける環境になり、地域の皆様に提供できると考えています。
予防は全ての治療の根幹にあると思っています。
メインテナンスはお掃除をするのではなく、その人個別のリスクが高い部分を管理していく非常に重要な治療になります。これができるのも現在医院で働いている非常に優秀なスタッフたちのおかげです。
通常の医院よりは検査も細かく、それの解析も厳密に行っています。
これは私一人が頑張ってできることではなく、歯科衛生士、歯科助手、受付全員が一体となって、信頼関係をもとにシステムを構築しているからできることです。
普通の医院のように痛みをとったらあとは何かあったら来てくださいという一見さんの様な対応ではなく、可能であればお越しいただいた方全員の口の中を一生守っていきたい。
お越しいただいた皆様が口の中に自信を持ち、笑顔で美味しくご飯を食べていってほしいという強い願いから2024年1月に医院名を湘南予防・歯科室に変更し、医院も改装を行いました。
今後も患者さん、スタッフ全員が信頼関係で結ばれる様な医院を目指していきたいと思います。
口腔を通して、患者さんの人生を救い、より良いものになるように貢献する。そしてそれができるように自分達が研鑽を怠らず成長を重ね、自分達自身も輝いていく。
この想いを胸に、これからも一歩一歩進んで行きたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。